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横浜地方裁判所 昭和58年(ワ)2693号 判決 1985年9月30日

原告 甲田株式会社

右代表者代表取締役 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 滝沢繁夫

被告 宇佐美不動産株式会社

右代表者代表取締役 宇佐美謹之助

右訴訟代理人弁護士 前田政治

主文

一  原告と被告間の横浜地方裁判所昭和五八年(手ワ)第二四〇号小切手金請求事件について、同裁判所が昭和五八年一二月一九日に言い渡した手形判決を取り消す。

二  原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一〇月五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告会社の従業員鈴木強は昭和五八年九月三〇日別紙小切手目録記載の小切手一通(以下「本件小切手」という。)を被告を代理して振り出し、原告に交付した。

2(一)  (有権代理)

被告は本件小切手振出に先立ち鈴木強に対し本件小切手の振出につき代理権限を授与した。

(二) (表見代理)

(1) 被告は鈴木強に対し本件小切手振出の原因である横浜市戸塚町字四ノ区三二九番の一宅地外の土地及び建物(以下「本件不動産」という。)の売買及び同売買の解消に関する代理権限を授与した。

(2) 本件小切手は、被告が鈴木強を介し原告との間の右売買契約の解消に伴い締結された、和解契約に基づく和解金として被告が原告に支払う金五〇〇万円のために振出されたものであるが、原告としては前記のいきさつから鈴木強に被告を代理し右和解契約をなし本件小切手を振出す権限があると信じて右契約をなし、その和解金の支払のために本件小切手の振出交付を受けたもので、原告がこのように信ずることに過失はない。

(三) (追認)

被告は、昭和五八年一〇月ころ訴外三平興業株式会社の当時の常務取締役である鈴木に対し、鈴木強の前記無権限の行為を追認する旨の意思表示をし、この追認の意思表示はその後原告に到達した。

3  原告は、本件小切手を昭和五八年一〇月五日支払人である株式会社横浜銀行戸塚支店に対し、支払いのため呈示したが、支払いを拒絶されたので、支払人をして本件小切手に呈示の日を記載し、かつ、日付を付した支払拒絶宣言をさせた。

4  原告は本件小切手を所持している。

5  よって、原告は被告に対し本件小切手金五〇〇万円及びこれに対する呈示日である昭和五八年一〇月五日から支払い済みまで小切手法所定年六分の割合による利息の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、鈴木強が被告を代理して本件小切手を振出交付したことを否認し、その余はこれを認める。

2  同2(一)ないし(三)の事実はすべて否認する。

3  同3及び4の事実はこれを認める。

三  抗弁

1  (強迫による取消)

本件小切手は、次のように被告が原告に何らの金銭支払いの義務がないのに、被告の従業員鈴木強を強迫し、畏怖した同人をして振出、交付させたものである。

(一) 被告は、原告に対し昭和五七年一〇月一九日本件不動産を売却し、原告から手付金一〇〇〇万円及び中間金四〇〇〇万円を受領し、本件不動産につき原告のため横浜地方法務局戸塚出張所昭和五七年一一月八日受付第四六五六三号原因昭和五七年一〇月二五日売買予約に基づく所有権移転請求権仮登記をなした。

(二) しかし、右売買契約には、本件不動産が工業地域内にあることから、共同住宅の建築確認の許可が得られないときには右契約を解除し、その際、被告は原告に対し手付金等として受領した合計五〇〇〇万円を返還すれば足りる旨の解除条件が付せられていた。

(三) ところが、右共同住宅の建築確認の許可を得るためには、本件不動産の隣地所有者日立製作所の承諾が必要であるが、それが得られず、昭和五八年八月二六日右許可の得られないことが確定したため、右解除条件は成就した。

(四) そこで、被告は、その従業員鈴木強を介して原告に対し、右解除の特約に基づき受領した金五〇〇〇万円を返還するので、原告より本件不動産に対する前記(一)記載の所有権移転請求権の仮登記を抹消するに必要な関係書類を交付するように求めたが、原告は鈴木強に対し、違約金として金一〇〇〇万円を支払わなければこれに応じない旨述べて、被告に支払義務のない一〇〇〇万円の支払を強要した。

(五) ところで、本件不動産は、被告が所有者有限会社東林及び光伸商事有限会社から昭和五七年一〇月七日に買受け、それを原告に前記のとおり売却したものであるが、被告と光伸商事らとの右売買契約についても本件不動産につき共同住宅の建築確認がとれないときには右契約を解除する旨の解除条件が付されており、被告としては昭和五八年九月末日までに本件不動産に付された原告の前記仮登記を抹消しなければ、光伸商事らに対し右契約の際に同商事らに交付した手付金一〇〇〇万円を没収される立場に追い込まれていた。

(六) そこで、鈴木強は、原告に対し本件仮登記を抹消するに必要な関係書類を交付するよう再三説得に努めたが、原告は頑として違約金名義での一〇〇〇万円の支払いを求めてこれに応ぜず、前記光伸商事らに対する履行日である昭和五八年九月三〇日、鈴木強は万策つきて原告の強要に屈し、被告に無断で、被告名義を使い、被告が原告に対し和解金として金五〇〇万円を支払う旨の和解契約に応じたうえ、和解金の支払いのため本件小切手を振出し、原告に交付した。

(七) そこで、被告は原告に対し、昭和五八年一二月七日の第一回口頭弁論期日において右強迫を理由として本件小切手の振出を取消す旨の意思表示をした。

2  (心裡留保)

本件小切手は、被告が支払いの意思のないのに振出したものであり、原告は右事実を知りえたのであるから、民法九三条の心裡留保の規定により右振出行為は無効である。

3  (公序良俗違反)

原告は契約上何ら請求する権限がないのに拘わらず被告を強迫し、被告の畏怖に乗じて本件小切手を強取したもので、原告が被告に小切手を振出させた行為は公序良俗に反するから、民法九〇条により右振出は無効である。

4  (相殺)

仮に、被告に本件小切手金の支払義務があるとしても、原告と被告間の本件不動産に関する売買契約には、その特約条項として建物建築確認がとれない場合には当然解除となり、原告は前記本件不動産の所有権移転請求権仮登記の抹消を無条件ですべき義務があるのに、これを怠ったことは右特約条項違反であるから、被告は原告に手付金と同額の違約金を請求する権利を有する。

したがって、被告は原告に対し昭和五八年一二月七日の第一回本件口頭弁論期日において右債権を自働債権として本件小切手金請求権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は否認する。原告と被告間の本件不動産の売買契約には被告主張の建築確認の許可が得られないときには、被告は原告に対し違約金として一〇〇〇万円の支払義務を負っていた。

(三) 同(三)の事実のうち、解除条件の点を除き、その余の点は認める。

(四) 同(四)の事実のうち、原告が被告に対し違約金一〇〇〇万円の支払いを求めたことは認めるが、その余は否認する。

(五) 同(五)の事実は不知。

(六) 同(六)の事実は否認する。被告が本件小切手を振出し原告に交付したのは、原告の被告に対する違約金一〇〇〇万円の請求に対し何回かの交渉の後、被告から訴外清水克及び太田洋一を通じて五〇〇万円にしてくれないかという話があったため原告もこれに応じ、被告が原告に対し和解金として五〇〇万円を支払うという内容の和解契約が成立し、右契約に基づきなされたものである。

2  抗弁2及び3の各事実は、いずれも否認する。

3  抗弁4の事実のうち、自働債権の成立は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  (原告の請求原因に対する判断)

1(一)  まず、被告の従業員鈴木強が被告名義の本件小切手を署名代理の方式によって振出し、原告に交付したことは、《証拠省略》によりこれを認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない(但し、鈴木強が被告を代理して本件小切手を振出交付した事実以外の事実は当事者間に争いがない。)。

(二)  次に、鈴木強の右代理行為が有効か否かにつき考える。

(1) (代理権の有無)

原告は、鈴木強には被告を代理して本件小切手を振出す権限を有する旨の主張があるが、これを認めるに足りる証拠はない。却って《証拠省略》によると、本件小切手は、被告の取締役兼営業部員である鈴木強が、その権限外であるのにその権限を有する被告会社代表者に無断で、被告の金庫内より小切手帳を持ち出し、チェックライターで金額欄を打ち、被告の経理担当者井上をして被告の社印及び代表者印を押捺させて作成したことを認めることができる。

(2) (表見代理)

《証拠省略》によると、被告会社の営業部員である鈴木強は、本件不動産の売買につき被告の担当者として全面的に関与し、被告を代理してその内容のとりきめ等の折衝を進めたうえで、売買契約を締結し、その後も右契約の履行、さらには解消について被告を代理して原告と折衝にあたっていたこと、原告会社の代表者は本件不動産の売買契約を解消するに際し、被告に対し違約金の支払いを求めていたが、鈴木強より右契約に関与した清水克、太田洋一を介して違約金五〇〇万円の支払いに応ずる旨の回答があり、その支払いのために被告所有の小切手帳の用紙に被告の社印及び代表者印の押捺された本件小切手を真実、被告振出のものと信じてその交付を受けたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 右事実に前記(1)の認定事実とを照らすと、被告の従業員兼取締役である鈴木強が、被告の代理権限をゆ越して署名代理の方法で被告名義の本件小切手を振出し原告に交付し、原告が本件小切手を真実、被告が振出した小切手と信じて受取り、このことにつき過失がなかったと認められるから、被告は民法一一〇条の類推適用により本件小切手債務につき表見代理責任を負うといわざるをえない。

2  原告の請求原因3及び4記載の事実は当事者間に争いがない。

二  (被告の抗弁に対する判断)

1  被告の強迫の抗弁につき考えるに、《証拠省略》によると、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は原告に対し、昭和五七年一〇月一九日本件不動産を代金二億九〇九九万円で売却し、その際原告が被告に対し手付金一〇〇〇万円、昭和五七年一〇月二八日に中間金四〇〇〇万円の合計五〇〇〇万円の各支払をなし、本件不動産につき被告の抗弁1(一)記載どおりの仮登記が原告のためにつけられたこと(但し、右事実は当事者間に争いがない。)、

(二)  本件不動産は、有限会社東林及び光伸商事有限会社が所有するものであったのを、被告が右所有者から代金二億五九八一万円で買受け、被告は右東林らにその手付金一〇〇〇万円及び中間金四〇〇〇万円を支払う約定がなされており、被告と右東林らとの間で前記原、被告の契約成立と同じ日に、本件不動産の売買契約がなされたこと、

(三)  ところで、本件不動産は都市計画法所定の工業地域内に存在する工場、作業所とその敷地であるが、被告は本件不動産の土地を共同住宅建築の敷地として前記所有者有限会社東林らから買受けて原告に転売しようとしたものであること、そのためには被告において本件不動産の土地につき共同住宅建築確認の許可を受けることが条件とされており、同様に被告と有限会社東林らとの売買契約についても、また、右建築確認の許可が条件とされ、これがとれないときにはそれぞれの契約がいずれも解消される旨の特約があること、

(四)  右特約について、被告と有限会社東林ら間では、当初、昭和五七年一二月二五日までに被告において前記建築確認をとることとし、若しこれがとれないときは、東林らは手付金等合計五〇〇〇万円を被告に返還して契約を解消することとなっており、また、被告と原告との本件不動産の売買契約の特約についても、右被告と有限会社東林らと同一条件で右同一期日までに被告が建築確認を得ることができないときは、被告は原告に対し受領した手付金等五〇〇〇万円を返還して右契約を解消できるとする内容のもので、原告も、これらの内容を了解していたこと、しかし、右期日までに建築確認がとれなかったところから、当事者間において更に被告が右確認取得に努力するとの目的を了解して、東林らと被告、被告と原告との間において右取得期限を昭和五八年一月三一日までに延期したものの、結局右期日が到来してもその目的を達しえなかったこと、

(五)  しかしながら、原、被告共に本件不動産の売買契約より生ずる利益を断念することができず、原、被告及びその関係者も含めて本件不動産における共同住宅建築確認の許可取得にその後も全力をつくしたが、同年八月下旬に至り、右許可の条件である本件不動産の隣接土地所有者株式会社日立製作所の承諾を得ることができないことが確定的となったこと、

(六)  そこで、被告は、原告との本件不動産の売買契約解除もやむを得ないと判断するに至り、また、東林らからも被告と東林らの本件不動産の売買契約を解消し、同年九月末までに原告のために設定登記された被告の抗弁1(一)(1)記載の仮登記を抹消するよう求められたこと、その際、東林らは被告に対し、本件不動産を他へ売却する話も進められているので右仮登記の抹消が右期日までにできないときには損害金として手付金一〇〇〇万円を没収する旨通告したこと、そこで、被告は、直ちに原告に対し本件不動産の売買契約を解消する旨通知し、受取った手付金等金五〇〇〇万円の返還をするので、前記仮登記の抹消に必要な関係書類の交付を求めたこと、

(七)  ところが、原告が右関係書類を交付するには、違約金として一〇〇〇万円の支払いをせよと要求したこと、そこで、この折衝にあたっていた被告の従業員鈴木強は、再三、原告の翻意を求めて折衝を重ねたが、原告は頑として譲らず、さりとて、被告代表者も原告の違約金の要求は応ずべき筋合のものではないとの立場をとって譲らないため、両者の板挟みとなり、しかも、東林らの要求する期日も迫ってきたこと、そこで、鈴木強としては窮余の策として、本件不動産における原、被告間の売買契約における特約によると、原告が被告に原告主張のような違約金を請求する権利は存しないが、東林らからの損害金の請求を避けるためには己むをえない措置として、被告に無断で一〇〇〇万円の半額、五〇〇万円を支払う旨の約束を原告となして、原告から前記仮登記の抹消に必要な関係書類の交付を受けることでこの急場を凌ぐことを決意し、同年九月二九日原、被告の本件不動産売買契約における原告側の関係者清水克、太田洋一に仲介を頼み原告にその旨申し入れ、原告の了解を得たこと、しかして、鈴木強は、原告に対し右和解金五〇〇万円の支払のために前記一(二)(1)記載のとおり自己の偽造した被告振出名義の本件小切手を原告に交付したこと

《証拠判断省略》

2  右事実によると、原告は、被告が東林らとの売買契約解消のために原告の本件不動産に設定した仮登記を抹消せねばならない立場にあることを知りながら、法律上支払義務のない違約金名下の金員を要求し、この解決策に困窮した被告の従業員鈴木強をして、若し原告の要求に応じない場合に生ずる東林らに対する損害賠償義務の履行によって被告の蒙る損害、ひいてはその折衝にあたった自己の被告に対する社内的責任を負わなければならない等重大な事態に陥ち入らざるをえない旨畏怖させ、畏怖した右鈴木をして被告に無断で和解金として五〇〇万円を支払う旨申込みをなさしめ、それに応じて本件小切手の交付を受けたものであり、原告の右行為は社会通念上許容された範囲を超えた違法な強迫行為といわざるをえない。

3  そして、被告が原告に対し、昭和五八年一二月七日本件第一回口頭弁論期日に、被告が右強迫を理由として本件小切手の振出行為を取消したことは裁判所に顕著な事実であるから、被告の抗弁1(強迫)は理由がある。

三  よって、原告の本訴請求を認容し、被告に訴訟費用の負担を命じ、仮執行の宣言を付した主文一項掲記の手形判決は相当でないから、これを取り消し、原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、四五八条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口和男)

<以下省略>

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